【書評】『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン著

 今回はアンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」を書評する。この本は、スウェーデン国内で60万部、日本だけでも40万部の発行部数を記録し、世界20カ国で翻訳された本である。

 僕は、全世界のスマートフォン利用者はこの本を読むべきだと思う。

 スマートフォンに時間を奪われている現代人が、足を一回止めて、現代のスマホに支配された生活を見直すきっかけになるそういう本だからだ。

 今まで言われてきたスマホによる悪影響を研究結果を用いて網羅的に分かりやすく説明してくれている本であるから、決して目新しいことばかりではない。

 SNSの「いいね」は私たちの脳内報酬系を刺激し、SNSに依存するように設計されている。

 マルチタスクをするとドーパミンが出て効率よく作業できた気がしてしまうが、実際には集中力は下がっている。

 グーグルが質問の答えを教えてくれるから人間の記憶力はだんだん下がる。

 現代人の睡眠時間は減っていく一方で、スマホによって睡眠効率は悪くする。

 スマホは私たちの心身、そして生活を確実に蝕んでいっている。

 だから、私たちはスマホをちょうどよく離して生活したほうがいい。

 私たちはスマホに時間を浪費している時にはスマホの悪影響を考えないだろう。だから、時間を奪うように設計されているSNSや動画サイトに時間を溶かし続けている。かくいう僕もそのような人間の一人だ。

 スマートフォンが僕たちに与えてくれた恩恵を考えた時、この本を読んだからといって、明日からスマホのない生活ができるかと言われると、それは100%無理な話である。

 しかしながら、この先の自分の生活、また自分の子供たちの代に良い影響を残すためには、ちょうどアナログとデジタルの過渡期である僕たちが、今やらなければいけないことなのかもしれない。

 スマホに時間を溶かしてしまう僕たちの生活を見直すための材料を与えてくれる。そんな本である。

 この本によると人間をはじめとする生物は、生き残るために進化を続けてきた。いや環境に適応した進化を達成した生物が生き残ってきた。人間の体は約20万年の間に蓄積された生きるための「知恵」である。

 命の危機に晒されていない、種の存続がかかっていない現代の生活で、僕たちの脳みそがスマホに対応した進化をするとは考えにくい。科学の急な発展により人為的に進化させられる場合を除いては、少なくとも僕たち世代ではほぼ不可能だろう。

 だからこそ、私たちは現在持っている脳をはじめとする有限な時間と身体機能の中で、最適化できる方法を考えていく必要があるではないだろうか。

【書評】『メモの魔力』と『もしドラ』

 今回は現在総売り上げ部数46万部のビジネス書、今注目のSHOWROOM社長である著者、前田祐二が自身の武器であるメモについて触れた一冊、『メモの魔力』を今更ながら読みましたので感想文を書いてみます。

 

 タイトルの通りメモについて著者の思いや目から鱗が落ちるメモ活用術など面白かった一方、実は、この本の核は、メモそのものではなくて、『抽象化』と『転用』という言葉が代表するように、物事の捉え方や思考法を教えてくれているんじゃないかなと思いました。それを象徴する箇所を引用させていただきます。

 

メモの本質は「振り返り」にあります。振り返ったときに、そこから抽出できる学びの要素が実は信じられないほどたくさんある。「ファクト」を「抽象化」して、それをどういう風に自分に「転用」してアクションするのか?そこまで導き出して初めて、メモとしての意味が出てくるのです。(70頁)

 

 これらは自分なりに解釈してみますと、何か事実や、学び、教訓などの情報を受けたときに、その情報を言葉通り、そのまんま頭の中で情報処理するのではなく、「つまりどういうことなのか」、「そこから何がいえるのか」、「なんでそうなったんだろうか」という問いから解を求め、法則的な抽象的で一般化できる情報を取り出し、別の課題やアイディアなど別の場面で活用することになると思います。そのプロセスを前田さんはメモ帳の中で表現できるように工夫している訳です。

 

 そのメモ帳活用術というのは本書を実際に読んでもらうとして、この『ファクト』、『抽象化』、『転用』の思考プロセス、言うは易く行うは難し、と言いますか、内容はそんな難しくないけど、具体的にどうやればいいかが分からないと思います。前田さん自身もいくつかの例を紹介していますが、僕は別の例を持ってきたいなと思います。

 これを読んだ時に別の本が頭の中に浮かんできました。『もしドラ』でおなじみの岩崎夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら』です。

あらすじをざっと書くと、題の通り、主人公である、ごく普通の高校野球部の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読み、野球部を甲子園に導くという話なんですが、10年前に発売以降、総売り上げ200万部突破にアニメ化、映画化と大ヒットを記録し、記憶に残っている人は少なくないと思います。

 

 次の主人公みなみと起業家を目指す野球部員、正義のやりとりは、この『ファクト』、『抽象化』『転用』をよく表しているのではないかなと思います。

「野球部の『顧客』って誰なのかな?(中略)この本にはさ、『企業目的と氏名を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。』って書いてあるんだけど、これは顧客が誰で、どんな人であるかによって野球部が何であって何をすべきが決まってくるってことだよね?」(中略)

「何も堅苦しく考える必要はないよ。確かに野球部は球場に見に来るお客さんからお金をもらっているわけじゃないけど、それでもタダでやっているわけじゃないだろ?ちゃんと、野球をやるためにお金を出してくれたり、お金は出さないまでも、協力してくれている人たちがいるじゃないか。」(中略)

「そうなると、例えば『親』が顧客になるの?親が学費を払ってくれるから、私たちは学校に行けるし、部活動もできてるわけで」(中略)

「それから、野球部の活動に携わってる『先生』たちや『学校』そのものも顧客ということになるだろうな」(51~54頁)

 

 みなみが、ドラッカーの本から『ファクト』にあたる主題を提示し、それを正義がより平たく説明(抽象化)、野球部に置き換えた時、それは何に当てはまるか(転用)をみなみに回答として教えています。ここで大切なのは、営利目的ではない野球部にビジネスの教訓を当てはめてみようとしたことです。一見、ほど遠い両者の関係ですが、よりかみ砕いて考え、抽象化することによって、野球部に会社経営のノウハウを応用させたのです。

 こうやって読んでみると、少し小難しいイメージのドラッカーの本を分かりやすく解説してくれる小説というイメージが、学びにおけるプロセスや事象の本質の味方を教えてくれている本のような気がしてきます。

高校野球とワークマン【書評】ワークマンは商品を変えずに売り方を変えただけでなぜ2倍売れたのか(酒井大輔著・日経BP)

ワークマンの本を読んでおいてなんだか、自分が野球をしていた高校時代の話をしたい。 

ワークマンは 商品を変えずに売り方を変えただけで なぜ2倍売れたのか

 野球道具というのは、値段が高い上に揃えなければいけないものが多い。

 グローブにスパイク、バット、ユニフォームを揃えないと試合に出ることができないし、それ以外にもバッティング手袋やアンダーシャツのような小物も必要になってくる。しかもそれら道具は練習でも試合中でも壊れて買い替えが必要になってくる。平均して高校球児一人当たり、数十万円を道具にかけていると言っても過言ではない。

 そう考えると野球というのは金のかかるスポーツだと痛感する。

 自分の高校では冬期間というのはとにかくバットを振るのでバッティング手袋が冬の間に破けることが珍しくない。そんな中チームの中で流行ったのが、ワークマンの作業用手袋だ。値段は約1000円程度で使い心地も他のスポーツメーカーのものと遜色ない。通常バッティング手袋は最低2000円平均しても5000円ほどであったと記憶しているが、半分以下の値段であるワークマンの作業用手袋なら耐久性もあり、最悪破けてもお財布へのダメージは少ない。

 また、朝早くから夕方遅くまで練習している野球部では、洗濯も問題になってくる。やはり練習着は何着か持っていないと厳しいし、寒さの厳しい冬の練習ともなるとアンダーシャツを重ねて着ることも珍しくなかった。そうなるとやはりアンダーシャツを何枚か持たなければいいけない。

 アンダーシャツもバッティング手袋と同じくらいの値段帯であったと記憶しているが、そこで登場したのがまたしてもワークマンの作業用アンダーシャツである。

 これまた1000円程度で購入可能でこの商品を練習着として用いている者が数名いた。

 その時はなんとなくこの現象を流していたが、今回紹介するこの本を読んだ時、なんだかあの時、野球部の中で起きていたことが本の内容と部分的に一致しているような気がして、変な興奮をしたというのが感想である。

 本書によると、ワークマンでは売値を先に考え、その中で実現できる機能性を実装していく。だから、安くても性能の高い商品を作ることができるし、オーバースペックにならず、顧客のニーズにあった商品を提供することができるという。

 その中で、アウトドア好きのブロガーやユーチューバーといったいわゆるインフルエンサーによる”クチコミ”でワークマンが広がっていったという。

 そのまんま自分の高校時代に野球部で起こっていったことではないだろうか。

 それ以外にも職人だけでなく一般客層にも受けるブランディング戦略やデータ戦略を通して、ワークマンが流行した要因が詳細に書かれていた内容だった。

 書評と言いながら、自分の思い出話が先行してしまい申し訳ないが、是非読んでいただきたい一冊である。

 

ワークマンは 商品を変えずに売り方を変えただけで なぜ2倍売れたのか

もし元高校球児がイシューからはじめよを読んだら。【書評】イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」(安宅和人著・英治出版)

 

 

 何か仕事に繋がる本を読もうと思った僕は、ある本の書評動画が目に止まった。安宅和人著の「イシューからはじめよ」である。その本を読みながら自分を振り返っていた僕はこの本とは真逆のアプローチで人生における作業を行なってきた。

 その最たる例が高校野球である。

 生産性の高い人の共通点はイシューを持って作業に取り組んでいるかどうかであると。

 また、バリューのある仕事の定義を「イシュー度が高いこと」と「解の質が高いこと」とと表現した。「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」をイシュー度、解の質を「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」と説明している。

 今回はこのイシュー度という点にフォーカスして、自分の高校野球を振り返ってみたい。

 

 高校2年生の夏の大会が終わった時、僕はチームのエースピッチャーになることを目指した。一番初めにしたことは、毎日10km走ることだ。なぜ10キロかと聞かれると、とある有名選手が毎日10キロ走ったため下半身が大きくなり、ピッチャーとして一回り大きくなったという記事を読んだからだ。

 その時の自分の課題はコントロールであり、持ち味は力のある直球であった。コントロールをつけることと球速のレベルアップをするためにはそのくらいの量のランニングが必要であったと考えたのだった。

 しかし、ここで立ち止まってみると、まずコントロールはどの程度高めなければいけないのか。数値化することは難しいが、1試合で四球を0にするという程度なのか、ざっくりとアウトコースインコースを投げ分けるコントロールなのか、針の穴を通すようなコントロールなのか。

 球速はどの程度必要なのか。150キロなのか140キロなのか135キロなのか。空振りが取れて決め球になるストレートなのか、芯に当てられない球なのか。

 ここで仮説を立ててみると、四球で崩れる試合が多くそれによって大事な試合で使ってもらえないという場面が多かった。そうなると四球を出さないレベルのコントロールが最優先イシューである。そもそも試合に出れなかったらエースにはなれないのだから。

 次に考えるべきこととして、なぜコントロールが悪いのか。僕はその時力を入れて投げると高めに抜けてしまうことが多かった。そうなると、力まないこととフォームの安定性が必要である。キャッチボールやピッチングの中でフォームを固めるとして、再現度の高いフォームには安定感のある土台が必要だ。具体的には強い下半身と強い体幹である。そうなるとランニングと筋トレという手段が浮かんでくる。

 ここで冒頭の10キロのランニングが必要か否かというところに話が戻ってくる。

 ランニングが必要なのか検討してみる。先にも述べたように安定したフォームには安定した足腰が必要である。次にピッチングというのは瞬発的な運動であるということ。と考えると、持続的に軽い負荷をかけるより瞬間的に大きめの負荷をかけた方が適切である。他にも検討材料があるかもしれないが、とりあえずこの2点から考えると、長距離のランニングよりかは、瞬発的なダッシュ系の方が適切であったと考えられる。さらに大きな負荷をかけるということを考えると、何かしらの重りを使ったり、スクワットやレンジ、バービーのようなトレーニング方が適切かもしれない。

 と考えると、10キロのランニングより、重点をおいて効果を検証すべきトレーニングが明確になってきたのではないだろうか。

 数をこなして根性に逃げることを著者は「犬の道」と表現している。まさにこの時の僕はこの「犬の道」を進んで突き進んでいたのだ。

 メジャーリーガーのダルビッシュ選手が昔「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」とTwitterで発言されていた。

 今更ながらその意味を強く感じ、自分の人生を後悔したのであった。

 

【書評】人新生の「資本論」(斎藤幸平著・集英社新書)

 この本を最初に読んだ時、素直に著者の「脱成長」という意見を受け入れられなかった。今も100%受け入れることができた訳ではないし、この本の核心を理解できたかも甚だ疑わしい。

 そんな状態で分かったような事を書くなという批判を覚悟しながら書評してみる。

 

 

 ユヴァル・ノア・ハラリは著者「サピエンス全史」の中で農業革命を「人類史上最大の詐欺」だと評した。農業によって人類は食糧に対する不安を解消し、生活が楽になると想像していた。しかしながら、農業の発明によって私たちの労働時間は増え、無駄な生産活動が増え、解消されるはずだった明日への不安はなくなることはなかった。

 

 著者が指摘しようとした資本主義の問題点は「最大の詐欺」の延長線上に存在していると考えることができる。絶えず消費を促す社会によって私たちは労働に追われ、地球は枯渇していく。

 

 SDGsを謳ったエコバッグや、電気自動車ですら資本主義の構造の中で消費を促し、その生産過程において多くの環境問題の原因を孕んでいるという点では問題の根本的な解決には至らない。

 そこで著者は地球のために経済成長を諦めようと主張する。

 生活インフラは「市民営化」し、希少価値から使用価値への転換を図ろうと。

 僕は、著者の意見に部分的に賛成、部分的に反対である。

 最初に反対の理由を簡単に述べる。まず、生活インフラを企業でも国でもなく、市民で運営するという方法が理想論であるという点。管理運営にはある種、権利権力が必要となる。となると「市民みんなで」管理というのは方法として難しいと思う。

 次に、生活インフラを共有物として移行するには何かしらの大きな力が必要である。現在の資本主義システムの上では莫大な資本を有するか、革命でも起きない限りは不可能ではないかと感じてしまう。

 最後の理由は、現在24歳の働き盛りの僕からしたら今ここで脱成長なんて掲げられたら将来に対して不安を感じずにはいられないという点である。今は恥ずかしながら実家暮らしだがいずれは自立し家庭を持つことを考えると、景気がよくなって給料が上がってもらわないと困るのだ。

 それらの理由で著者の主張に反対である。

 しかしながら、この地球に生きる一人の人間として、地球の環境を守るのは責務であるとも考えている。自分のあげた反対理由とは矛盾するが、本書の通り、いつまでも経済成長を続けるというのは不可能であるというのは理解している。資本主義を抜本的に変えるのは無理かもしれない。しかしながら、自分の価値尺度を資本主義的、消費主義的価値観から離れていくことが必要なのだろう。これが部分的賛成の理由である。

 暴論であることは百も承知だが、二酸化炭素の排出量をなくしたいのなら、産業革命以前に、資本主義システムを否定したいなら、農業革命以前に戻ればいいだろう。しかしながら、もうそんな生活には戻れない。それなら妥協点を見つけなければいけない。それに対する一つの提案が本書である。だから、僕たちはこの本に賛成反対で終始するのではなく、考え続け、議論を続けないといけないのだろう。